all everything

何度も書き直す。

zineお疲れ会に呼ばれたときのことを書く。

zineめちゃくちゃ面白かったです!と雑なラブコールをした数週間後「これに限らずまた会いたいです」という内容の手紙を直接差し出したら、制作お疲れ会があるからこないかという誘いが来た。2回しか喋ってない相手の家でしらん人とめしをたべる。今までのパターンだと絶対行かないけど、行くと言った。いい意味でイカレている。

愛知から帰ったその足で地下鉄のとある駅に辿り着いた。愛知からずっとつけていたマスクを捨ててコンビニで新しいのを買ってから指定されたマンションに向かった。シェアハウスをしているらしい一室は玄関前から生活にまつわるオブジェクトがあって異様な雰囲気だ。インターホンを押すか1分ほどためらった。

 

そういえば子供の頃友達の家に遊びに行ったときも「インターホンをおす」というのが苦手すぎて20分ほど玄関の前で立ち尽くしていたことがある。中からは他の友達との楽しそうな声も聞こえていた。当時から自分の存在を知らせるのは「みんなが楽しそう」なところに水をさすような気がして戸惑ってしまう。現在も同じ理由で店員さんを呼びつけるのが非常に億劫なのですぐに呼べる人のことを尊敬している。

 

シェアハウスのインターホンを押して知らないひとに挨拶したけれどその人はそこの住人ではなかったし、料理の準備でわちゃわちゃしているから知らん人の家で後続のゲストが鳴らすインターホンの対応することになったのが面白かった。料理の準備はほとんど手を出さなかった。知らない食材ばかりでていたから。それで正解だと思う。

知らんひとだらけの食卓で火鍋を食べた。最初の挨拶もそこそこに主催がきいたのが「なんか怒ってることありますか?」だった。現代版コンシャスネスレイジングじゃん、ちょっとまえにまだ読みきれてない本で読んだぞ。(いい加減読み終われや)意識してやっているのかと思ったけど、主催の人はその単語を知らなかった。

 

各業界や日常生活でおきた性差にまつわることを話して話したことないひとたちなのに盛り上がってしまった。この場合の盛り上がるってのは適度にボールがパスされ続けることであって酒が絡んでガハハのドンチャンではない。ぜったい借りてきた猫か目が引っ込みっぱなしのカタツムリでいるつもりだったけれど私もまあまあ話してしまった。

 

そのメンバーには書店員さんもいて、終わり際になんやかんややりとりをして、いまは自分の好きな本屋に私のzineが置かれている。3冊だけ納品させてもらったけど売れているといいな、まだ恥ずかしくて陳列されているところを見にいけていない。ずっと売れなかったら私が買い取ろう。

愛知に行って展示を見てトークイベントをきいていなければ、人の家に火鍋を食べにいくと言っていなければ、ネバマイに出ていなければzineを作っていなければ、vol.3のzine面白かったです!とイベントに殴り込みに行っていなければこの世界線を掴み取ることはできなかった。ヤンチャ陽キャたちが人のつながりをアピールするSNSの投稿の刷り込みからおれはどの人間とも繋がることができずフィールドを広げられることなんか絶対にないと思っていた。

こんなことになるんだったらもっと真面目に表紙を作るんだった、なぜ表紙で電池切れをしたのだろう。悔しさが残ったから絶対次回作を作る。