all everything

何度も書き直す。

 

燃ゆる女の肖像を見た。めちゃくちゃ良かったけれどこの手の感想を言うのが苦手だ。なぜ苦手なのかから書かねばならない。

映画鑑賞経験は沢山はない。長尺の映像作品を見る時、作中で起きていることをローグライクゲームの戦闘ログのように事実だけを抜粋して見ている節がある。時間尺やらロケーションが変わったことやら、同じ時間軸でAと離れたところにいるBの視点に切り替わったことを把握するのに遅れを取ってはいけないことに集中してしまい、人間の揺らぎとか暗喩とかオマージュとかあんまり気がつけない。アニメーションとかのわかりやすいコンテンツの方が好き(喜怒哀楽を大袈裟に表現するし、必要のないものは描かれないから)だと思うし、人間の感情を把握するのが苦手なこの傾向はこの先もあまり変わらないと思う。

人間の意図や感情が苦手なのに読み取ろうとして正面から立ち向かってクタクタになるから「長尺のワンカットで人の表情がちょっとずつ変わるさまをみせたりするロマンス系映画」(まさにこの映画じゃん)にスーパー苦手意識がある。

けれど映画ってそういう議事録を拾っていくだけではなくて綺麗な海とか画面作りとか自分の気がつけたことに綺麗だな〜とおもってボサッとみてる時間があってもいいんだなとようやく思えた一本だった。序盤によく映る海も暖炉のそばで映し出される人物も昼間の屋内も美しかった。その美しさに気がつけたのも自分で海のRAW現像に苦労したりとか、作中のもうすこし後にカメラが登場するからだと知っているとか、一年くらい前に行ったフェルメールとその近辺時代の企画展を思い出してこういうライティングになるもんなとか、全部インストールした積み重ねでようやく感じ取れるようになったからだ。もっと視覚に対して感覚的に映画を見れないのだろうか?

 

映画を見終わってから感想コラムとかツイートを二、三本読んで主要人物数人の間で交わされる感情をそうやって見たり言葉で表現するんだと思ってただひたすら関心していた。自分の読後感にスマッシュヒットするような言葉を見つけられていないが参考になった。

人の発表したもの(この場合映画の感想)をなんかちげーんだよな(自分の代弁100%ではないなの意)とは言えるが自分からはなにも表明できない人たちのことはクソクライアントとの現場で死ぬほどみたから人に伝える技術力が欠落している自己紹介でしかないのだけど、胸中に残った澱みてえなのは確かにあったし大事にしたい。それを人に説明しきる必要はないしそれを解明するためまたよその映画やら時代背景やらに飛びついていくしかないんだな〜とわかってるけどめんどくさいな。でも今年本を2冊読んで映画を一本みた功績は近年比でいくとかなりでかい。さて次はいつになるやら。

あと性っぽい描写になるとゾワゾワして落ち着かなくなるの本当に1人でも恥ずかしいからやめてほしい。マジで。