4/1
午前中は病院ツアーだった。ピルを再開し、精神科で代わりの医者と30秒話して漢方をもらった。
「経血は多い/普通/少ない」「痛みは強い/軽い」の問診表に「人と比べたことがないのでわかりません」と書きたくなったが抑えた。チクチク痛む、ズキズキ痛むとかもようわからん。
だからこれが普通か異常かとかもわからなくて我慢が効いてしまい発達障害の発見も遅れたんだろう。自分のことを口頭で説明するのが下手だしな。
精神科については鬱病でもない限り薬らしい薬は出ない。抑うつみたいな時はあるがpmsの線が濃厚だし。
頭が延々とフラッシュバックさせてくるのをかき消すのに定期的に「猫ちゃんみたいだね〜」ってつぶやく健常でもないが障害者でもないやつになってしまった。
(まじでなにが猫ちゃんなんだろうやばい人みたいで嫌だ。まあやばい人なんだろうな)
はやくフラッシュバックに効く薬が出てほしいと思っている。その折りには喜んでお金を出そう。
夕方から女王蜂とユニゾンスクエアガーデンのライブに行った。予習しといた甲斐があってどちらも楽しめた。アヴちゃんの足を見るために5000円くらいは払ったようなものだと思う。いやこういう主語がでかい言葉も妙なオタク臭がするのでやめたい。
耳が少しおかしくなったのでカナモトホールの響きを強調するような(?)音響は苦手かもしれない。
ワインとクラフトビールをおいている店でしゃべり倒した。久々に飲むっていうのをやったけどとても楽しかった。相手を選ぶけれど自分はちゃんとお酒で楽しくなれるんだと思った。そういうバランス感覚の上手な相手だったし、いつもそれに救われている。
にんげんの「ふつう」を知り得るため、個人の行動パターンを知るため、一つのことしかできないから友達と遊ぶとフラッシュバックが止まることなどから無意識に友達とジャンジャカ遊ぶ時期があったが大衆と個人の「ふつう」も変わるので不確定だし、診断が降りたくらいから精神を鎖国させるという概念ができた気がする。私の運用方針を少しずつ良くしていきたい。
年齢のせいか知らないがどうしても何割かはパートナーの話になってしまう。私はそんな高度な人間関係はできそうにないので、一人暮らしのおりには心の中で殿堂入り認定した友達数人に合鍵を渡したい。あなたたちの連絡を無視するとしたら異常事態なので、死んでないかどうか見にきてほしいと。あとは毎日なんとかやる。結構本気で考えてることだ。
4/2
映画館にオッドタクシーインザウッズを観に行った。私が気がついていないだけでセリフのほんのひと言でキャラクターの過去がわかったりするかもしれない。まだまだ掘りがいのあるコンテンツだなあと思った。個人的には曲の歌詞で「このアニメ参照のほど」という部分があるのだけど「この映画参照のほど」に録音しなおされているのが芸こまでよかった。
歩いて帰った。到着したら23時に近かった。歩いて帰ってもいいなと思えるほど暖かくなってきている。それだけでやれることが格段に増えていくのがいいなとウッスラおもった。
あとはオタクの友達とはサッと集まってサッと帰れる関係性が良いなとようやく気がついた。以前の自分なら飯に誘ってたかもしれないが、ダラダラ過ごすよりも消費したいコンテンツの利害が一致したらパッとあつまりササッと帰ったほうがよい関係性もあるのだと心からようやく理解できたのが嬉しい。分霊先にしてしまいたいほどの友達はほかにいるのだ。
4/3
母親とスーパーに行った。コデマリを買い、花の咲き終わって枯れきった桜をようやく捨てた。自転車を出して乗れるようにした。犬の病院から経過良好なので飲み薬がとうとう出なくなった。15歳になる犬で年のせいか目の病気が治るスピードが遅いみたいだけど、わたしからすれば生きようとしてくれているだけでも嬉しい。
書きたいのになんとなく書けてなかったことがあるので今日の日付を使おう。靴下についてだ。
かつて靴下のジプシーを作る天才だった。持っている本数も少なかったしそれらが片足になるのだ。本当に最悪だった。洗濯自体も今でも大嫌いだ。
これはそもそも靴下が少ないしジプシーにならない(そして洗濯をサボらない)仕組みづくりをしなきゃダメだなと気がつくのにウン年かかった。んでちょっとずつアプデしてようやくものになるのに10年かかった。
・家用のどうでもいいやつ
・出かける時に履くちょっといいやつ
・仕事用のガッツマンとか五本指の厚いやつ
の三種類を意識して買うようにして、それらを混同しない。
ガッツマンは分厚く、五本指を日常では履きたくないので必然的に仕事の日のみになるし、ちょっといいやつはいい日だけに履くために取っておくため普段は3足500円のやつをめっちゃ雑に履く。
脱ぐシチュエーションも自分をよく観察した。風呂に入る時とベッドに寝転がった時が一番脱ぎ捨てる確率が高いのでニトリの洗濯物入れを買って、脱いだものをすぐそこに突っ込む(突っ込めなくてもベッドのそばに抜け殻のようにあるので次の日には気がつける)
洗濯物入れもカゴ型だと背が低くてこぼれ落ちたりするので、ワイヤー入りの自立するドラム缶的な形のやつにした。倒さない限りこぼれない。ここが何気にデカイと思う。自室か脱衣所でしかこぼれた服を見かけないしそれも稀だ。
そして1日〜1.5日分しか洗濯を溜めないことにした。仕事用の服が超よごれるので帰宅後即脱ぐ一択になったのもある。一度の量が多すぎると干す時にやる気を無くすので少量で精神を摩耗させないようにする。
あとは脱いで洗濯して即シャワーだ。くたびれきっていると干せずに腐らせる時も正直あるけれどスキンケアとかで間を持たせてとにかく風呂上がりでも洗濯が終わるまで意識を保つように心がけている。
洗濯の山はすぐハンガーものとピンチものに分類してこのへんは気合いで終わらせる。乾いた靴下はすぐニコイチにして下着カゴにぶち込んでおく。
同じ色、柄の靴下を何本も揃えると干す時になんも考えなくて楽な人もいるらしいが、これを試すと情が湧かず雑運用で6本が5本とかになった瞬間にどうでも良くなって失敗したので靴下はかえって違う色柄の方がいい。
それと乾いた衣類を衣類ケースにどうしても収納できないのだが、ハンガーにかけて終わりにしたり、衣類の絶対数を減らしたり、そもそも床に投げといてOKなことにするヤバめの運用方法をとっている。衣類のひと山と生活するのが当たり前で、見る人が見たら気絶する。だが「自分は靴下に逃げられ、洗濯もできない」と強烈に自己否定してた朧げな過去(記憶がない)よりは若干生きやすいと思うし、そもそも人を部屋に招かないことで今のところなんとかなっている。
そういう現代のニンゲンが当たり前にやってることを30手前になりようやく習得したことは誰にも褒めてもらえないので、自分だけがひっそりと認めてやろうと思うたのだ。