all everything

何度も書き直す。

日付は書かない、所々にエピソードはあるけどそれ以外は均質的で薄い記憶だ。とにかくまじで気が遠くなるほど剪定をしていてそれ以外の記憶はない。木の上の高いところは平気になった。というよりも、落ちないように努力する四肢や体幹を信じてみることにしたというところだ。降りて少し経つとどれが自分が手がけた樹木かわからないほど記憶がない。それなのに目を瞑るとランダムに生成された暴れ枝をたくさんこしらえた枝元が思い浮かぶ。


とある先輩を追い抜かすことを周囲から期待されている。そのシナリオに乗っかってやりたい気持ちもある。そのような近めの他者がけしかける何かは今まで私を苦しめてきたのだが、側からみればアヒルレースのような感覚なのだろうという冷静な見方もできるようになった。

わたしは私のために経験値を貯めていて、去年とてもできるとは思えなかったことをやってのけていることが嬉しい。


歳の近い後輩は主語がデカく精神的にも肉体的にもパーソナルスペースに踏み込んでくる。私のことは放っておいてほしい、何も出てこないのだから必要以上にすり寄ってこないでほしい。

仕事なんてパズルピースだ、自分の居場所を作ることが大切だ、と彼はいつも話している。こちらは居場所も確かにほしいが貴様らなら願い下げだと思い続けてきたのに。そのセリフと経歴の不一致さからくる違和感の正体を捉えるためわたしはなんらかを見ている。それはオニオンスライスがなぜ苦手なのかわざわざ考えるのに近いとも言えるし、必ずどこかにあるこころの地雷を踏み抜いて一発K.O.(この場合退職)させてしまうリスクを察知しておきたい建築のレントゲン技師のようにも思える。


ホモソーシャルなキャラクターを演じることが集団でうまくいくコツではない会社、業界、社会になってほしい。なぜならそうなればわたしも生きやすくなるからだ。


あらゆる友人との音楽性の違い的なのを感じていて、それが加齢によるものなのか自分のパーソナリティ的なモノなのかあらゆるコミュニティにやや我慢して席を開けてもらっていた反動なのかはよくわからない。人の興味関心は歳と共に移り変わる割に、勤め人になった後の人間関係のシャッフルのされなさはあるかもなと感じた。現在の興味関心のカードを持ってここにいると発信したい。でも、インクの染みなどのコンテンツになるとクオリティが求められるからしんどいよな。