all everything

何度も書き直す。

除雪の仕事で11kmあるく。いままでは後半にある5kmほどの短い方担当だったけど、今年からは交代であるく。ヨレヨレ。体力のなさを思い知らされる。男たちは難なくこなす。「○○(相方)は前半の11km担当でいいって言ってたよ〜」と機械オペのおじさん。本人に確認したら「そんなこと言ってない」。「あいつの方が早いんだよ!」「男にまかしときな!はんでやれって言ったのさ!疲れるしょ〜?」とおじさん。じゃ男と同じスピードで歩きゃいいんだろ⁉️とヤケになって11kmあるいたら、冒頭のヨレヨレ。ジェンダーロールに乗るのも腹立たしいが11kmもつらい。その二択から降りるのも許せない。体力なくて情けなくて泣けてくる。泣いてない。

 

けれど、こんなヨレヨレのなか静かに脳を回して考えたのはできることが少なすぎて横柄な態度とって失言垂れ流してるのまじでムカつく存在だなということ。ムカつく存在だから、流れ着いたここでくらいは仕事はえらんではだめだ。それとマッチョになれ。その方が物理的に仕事しやすいから。

 

二級施工管理技士(ほ)の合格通知が届いて世界の解像度があがっているはずなのに、できないことまみれで一生片付かない部屋に閉じ込められているようだ。セコカン(ほ)が受かったと確信してから明らかに自己肯定感に改善が見られて結局ネームバリューがおれの支えなのはウケる。夜遅くまで書類やってるおじさんみてもクソも憧れないけど、受けても受けなくてもいい資格(ほ)を自分で判断して勉強したのは何かを頑張った証としておれにきざまれた。そんで、世の中こんなふうに動いてるんだな〜とほんの少しだけ理解した。こう言う段取り(あれだけ憎んだ書類提出もそう)や勉強や技法やらが歓迎されて資本主義の潮流ができていると理解した。まあそんな程度なので、受かったとて施工のことはなにひとつわからん。

 

「世界をバランスよく見る技法がデッサンだ」みてえなことをデッサンの講師が言っていて、それだけ覚えている。デッサンの授業がある学校の記憶を消したいし、世の中に向けて開眼してなかったので崩壊したデッサンばかり書いていたけどそのセリフだけ最近思い出して、わいは世の中をバランスよく見る方法がセコカン(ほ)だったんだなって思った。ただむかつくのは資本主義と国家資格にガチガチであることで、もう少し自由に生きたい。そのいみではおれは大人になりすぎていて、あとはゆるやかに長いものに巻かれるのを待つばかりなんだけど、国家の解体を目指すものとしてなんかワンパンかましたいよな。ねむい。ねる。